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大阪高等裁判所 平成6年(ツ)18号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人松本健男、同大川一夫、同丹羽雅雄、同養父知美の上告理由について

一  原審は、上告人が明渡した後の本件貸室の内部に、流し台東横の柱の西側側面下部等のいずれも顕著な汚れ、北西隅の柱の角のクロス剥れ、入口ドアの木枠の角の削れ、南側壁のねじ釘穴、床の染みやPタイルの各損傷箇所があつた事実を認定し、右損傷箇所(以下「本件損傷箇所」という。)は、本件契約の、上告人は、本件貸室内の建具、壁、天井、床面その他本件貸室及びその関連する総てに対し、故意又は過失により損傷を与えているときは、判途にその損料を被上告人に支払うものとするとの特約(以下「本件特約」という。)で定めた損傷にあたり、上告人が本件貸室使用中に過失によつて生ぜしめたものであることが推定されるとし、かつ、上告人において、その原状回復費として六〇万円の支払債務があることを認めたという事実を認定したうえ、右事実関係に基づき、被上告人の保証金のうちの六〇万円の払戻金支払債務は、上告人の右六〇万円の原状回復費支払債務と相殺されて消滅したと判断し、上告人の請求を棄却した。

二  しかしながら、原審の右認定判断は、ただちに肯首することができない。その理由は、以下のとおりである。

1  上告人が明渡した後の本件貸室の内部に、右掲記の本件損傷箇所があつたことは、原判決挙示の証拠によつて認めることができる。

原審は、本件損傷箇所は、上告人が本件貸室使用中に過失によつて生ぜしめたものであることが推定されるとし、本件契約書に本件貸室には損傷がある旨の記載がないこと、平成四年一〇月三〇日の本件貸室明渡に立ち会い、乙第二号証の「退去チェック表」に上告人の署名押印を代行した大山吉子が、その際、本件損傷箇所が本件賃貸借開始前からのものであるとの発言をしていないことから、本件損傷箇所は上告人が使用中に生ぜしめたものではない旨の証人大山吉子の証言は採用できないとするが、《証拠略》から窺われる右各損傷箇所の状況、その内容及び程度と、一審及び原審証人大山吉子の証言中の、上告人が賃借したときの本件貸室の状況は、特に壁を塗り替えたとか、内装を良くしたとかということはなく、前賃借人が出て行つたときのそのままの状況で入居したものであつた旨の供述に照らせば、本件損傷箇所は、上告人が入居する以前からあつた可能性も否定できず、上告人本件貸室使用中に過失によつて生ぜしめたものというためには、前賃借人退去時の本件貸室について、被上告人において損傷箇所の有無を点検したかどうか、その後、上告人が賃借するまでの間に損傷箇所を補修したり、内装を全面的にやりなおしたりしたことがあるかどうか等を確かめる必要がある。

2  また、本件特約にいう損傷には、賃借人による賃借物の通常の使用によつて生ずる程度の損耗、汚損は含まれないものと解するのが相当であり、特に、本件特約における保証金一六〇万円は、契約終了時には、約六〇パーセントにもあたる一〇〇万円を控除して返還するものとされていることからすれば、右のような通常の使用によつて生ずる損耗、汚損の原状回復費用は、右保証金から控除される額によつて補償されることを予定しているものというべきであるところ、《証拠略》から窺われる右各損傷箇所の状況、その内容及び程度からすれば、むしろ、通常の使用によつて生ずる損耗、汚損の程度とも考えられ、したがつて、右損傷箇所が、通常の使用によつて生ずる損耗、汚損の程度を超え、本件特約にいう損傷にあたるといえるか否かについては、その損傷箇所の内容、性質、程度を具体的に確かめる必要がある。

3  更に、本件損傷箇所が本件特約にいう損傷にあたるとしても、《証拠略》によれば、その損料(原状回復費用)として、被上告人が主張する六〇万円は、本件貸室の床Pタイル、壁面クロス及び天井全体を貼り替える工事費用であるところ、前記損傷箇所の状況、程度、及び、右金額が被上告人自身の見積もりによるものであることからすれば、その補修に、床、壁、天井全体の貼り替えまでを要するかどうか、また、その費用額が適正妥当であるかどうかについて、多分に疑問のあるところである。

4  そして、右のような点についての事実関係の如何によつては、《証拠略》において、上告人が、前記損傷箇所の原状回復費として、被上告人に対し六〇万円の支払債務があることを認めたという点についても、その信用性に疑問の余地があり、これらの点について、十分検討確認することなく、本件損傷箇所が、本件特約で定めた損傷にあたり、上告人が本件貸室使用中に過失によつて生ぜしめたことが推定されるとし、かつ、上告人が、その原状回復費として六〇万円の支払債務があることを認めたとした原審の認定判断には、審理不尽、理由不備の違法があるものといわなければならない。

三  右違法は、原判決の結論に影響することが明らかであるところ、論旨は右の趣旨をいう点で理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、右の各点につき、更に審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すことが相当である。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 志水義文 裁判官 高橋史朗 裁判官 松村雅司)

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